自分の得意なことってだれが決めるの?
こんにちは。
キッズメンタルトレーニングクラスで、こんな場面がありました。
レッスンの最中ドッジボールの話題がでました。
すると、Uちゃんが「わたしドッジボールで逃げる方が得意」と発現したました。
「え~そうなんだ~!」と私が関心していると、それを聞いていた同じ学校のもうひとりのOくんが
「でも得意って言うほど、にげるの得意じゃないんじゃない?Uちゃん。」っと言いました。
私はちょっと考え、あるこんな例え話をしました。
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「では、ちょっと聞いていてね。
Aくんは、テストではいつもほとんど20点しかとれません。
ところが、国語だけは50点とれています。
もし、みんながAくんだったら、自分が得意な教科はなんていう?」
するとみんな口をそろえて
「国語~!」
「うんオレもそういうな」
「私も国語」
「そうだね~。佳苗先生もそう思うと思う!
では、また別の子の話をしようかな。
Bちゃんは、テストでいつもほぼ80点を取れる子です。
ところが、どうも国語だけは、いつも50点くらいです。
みんながBちゃんだったら、みんなは得意ではない教科はなんていう?」
「国語が不得意な教科だな」
「うん。そうだね~」
これもみんな意見は合致。
「そうだね~。佳苗先生も80点すべてとれるのに、国語だけ50点しかとれないと、あ~自分は国語は不得意だな~って思うな~」
「じゃあね、Aくんと、Bちゃんがこんな会話をしました。
Aくんが『オレは国語が得意なんだ!』
Bちゃん『嘘だわよ。Aくんこの前テスト50点だったじゃないの。私は最低の点数で50点だわよ。
それって、Aくんはあまり得意ではないよ。』
・・・これってどうなんだろうね・・・?自分がAくんだったら、どお?」
「自分にとっては国語が得意なんだけどなっておもう!」。
・・・そう応えたのは、Oくんでした。
他の子も、あとからうんうんと。
「そうだよね~。人から決められる前に、自分が得意だ!って思うのが大事だし、人と比べたり、人から決めつけられたりするのは、ちょっとおかしいこともあるよねぇ。
今佳苗先生がはなしているのは、なにが正解!っていう話ではないんだよ。
みんなはどお?」
そう質問すると、
「うんそう思う。」というお返事。
「佳苗先生は思うんだよね。
自分が得意とか得意じゃないとか、そういう事は他人が決めることなのではなく、自分が知っているし、自分が気づくことだし決めることだと思うよ。
時にそれも正解ではないときもあるかもしれないよ。
でも、自分がいまはこれが得意なんだ!っていう事は、それが正解なのかもしれない!」
「学校では「あゆみ(横浜市での通知表のこと)があるし、評価はつけられてしまうけど、それは学校でのある基準値で、ここまで到達しているかな?っていうこととか、この中ではこのくらいですね~って、教えてくれたり、先生から見て、こうかもしれないっていうことを、判断されるから、それも社会に出たら必要になってくることなので、そういう成績表っていうのもは、あるのだけど。
でも、ここで出てくる自分の得意、得意じゃないって、人から判断されることだけが正しい訳ではないと思わない?
・・・佳苗先生は、少なくてもそう思っているよ。
だから、Uちゃんはドッジボールでボールを取って投げるよりは、逃げ回っていた方が得意なんだっていうことなんだから、それが正解なのかもしれないし、それを他人が決めることでもないかもしれないね~!」
Oくんは、う~ん、たしかにそうなのかもしれない。という表情でした。
「Oくんにも、自分が得意なことある?それを得意だ!って言っていいんだよ。
Yくんもそうだよ。これよりかは、こっちがまだ「マシ」って思っても、それがこれよりかは得意だって、そう思ってもいいと思うよ。
大事なのは、その得意なことを、もっともっと、得意だ~!って胸張って言えるようになれば、いいだけで、それは人と比べることではないんだからね!みんな堂々と、自分の得意なこと。佳苗先生に教えてね!」
みんなうんうんと、うなずいていました。
社会は評価される集まりかもしれません。
時にその勝負に勝つことが必要です。
でも、いつかこの巣立っていく子たちが、自分の「得意なこと。自分ならできること・自分の方法を見つけること」をして、その勝負に心で負けない子になってもらいたい。
それが、人と比較したらまだまだな事であってもです。
今は評価を気にしないで、堂々と自分の良さを知れて表現できる子になってほしいって思います!