経験に勝るものはない・・・!~いただきます・ごちそう様でした~
こんにちは!ふわ凛♪です。
「いただきます・・・」この意味は本当に深いです。
心からいただきますといいなさいと親は子供に言いますが、(私もつい口にしてしまいますが)
実は本当に難しいことだと感じます。
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私の短大時代のお話をします。
短大の先生が毎年ネパールの地に足を踏み入れて学校を作られたりと、ご活動をしている中に、
私たち短大生も行くという体験学習的な旅行がありました。
あるグループで、「これを卒業旅行にしよう♪」と参加しました。
ネパール市街から、トレッキングで山を歩いていくのですが、旅の途中にある村に立ち寄りました。
その村の方は私たち女子大生をとても歓迎をして下さりました。
その時に牛が一頭つないであり、私たちはこの牛を「ゆきちゃん」と名付けてかわいがっていました。
村を去る前日の夕方、いつもの場所にゆきちゃんがいません。 聞くと、そのゆきちゃんを私たちのために村の人がごちそうを揮ってくださるために準備に行ったのだと・・・。 私たちはあの「かわいいゆきちゃんが・・。」みな涙をしました。
ところが、大学の先生が厳しい口調で怒鳴りつけました。 「この牛は現地のお給料の何か月分もの財産なのだ。その牛を私たちのために精一杯の気持ちで出してくださるのに、その意味も分からずに悲しむものがいるなら、村の方々に失礼だ!夕食には出てくるな!」と。
・・・そうです。村の人たちの笑顔。そしてゆきちゃんという宝のおもてなし。 わかってはいるけど、ゆきちゃんの命と私たちのもてなし・・・。 その現実が受け止められずにいました。
でも、考えてみたら、私たちは日本で何気に食べているお肉はすべて尊い命なのです。 そして、この村の方は、自分たちがいつも食べていない最高級のおもてなしを私たちにして下さるのです。 私たちは村の方々、に感謝をしていただくべきだったのです。 そして「牛のゆきちゃんにも・・・。」
その夜の夕食は素晴らしいディナーでした。ゆきちゃんの「脳みそスープ」もとてもおいしくて、私たちは「ゆきちゃんおいしいです。ありがとう・・」と涙が出そうな気持ちで食卓についたのに、あまりにおいしくて「わ~おいしいね!ゆきちゃん!」と明るい食卓でした。
でも・・・あのかわいがっていたゆきちゃんに、心からいただきます。ごちそうさま。をいいました。
頂きます・・・よりも「ありがとう・・・」といったほうがふさわしいと心から思ったのは恥ずかしながらこの体験が初めてでした。
命の大切さ、そして「いただきます」の裏の感謝の気持ちを改めて私たち女子学生に教えてくださりました。
こういう経験がなしに、本質を子供たちに伝えるのは難しいけど、でもこの経験を持っている大人がその真の意味を伝えること、そしてそのような経験を子供たちに伝える。そして子供たちにそのような経験を得られる場所を作る。改めてその大切さを思い出しています。
この話はわが子にもしたことがあります。でも経験には及びません。
だからこそ、経験をすることが大事なのだと、今母として感じるのです。
たまごさんありがとう・・・。
にわとりのお母さん。
命をありがとう。
感謝していただきます。